ナカス・メモ

あまり書くことなし

年の瀬に『ヒスロム 仮設するヒト』行ってきましたの巻

みなさんもう1年終わりますよ。怖くないですか。何にもしないの怖いから行ってきました『ヒスロム 仮設するヒト』。

https://www.smt.jp/projects/hyslom_ten/2018/08/post.html

 僕はこういうアート然とした催しに参加した経験がなく、理解が及ぶか不安で仕方なかったんですが、簡潔に言うと想像以上に楽しめました。ジワ〜ッと全身が感動で奮えるのは気持ちいいですね(10月のCorneliusのライブも圧巻でした…)。

 ヒスロムさんは「『フィールドプレイ』と称した身体によるアクションを各地で行い、それらの活動を映像記録やさまざまなモノの痕跡から読み取っていただく(パンフレットより)」といった活動をしていらっしゃいます。今回の『仮設するヒト』のテーマは「山や森林が住宅地へと変遷していく、その瞬間を自分たちも同じスピードで体感する」というものでした。あまり展示について仔細に触れるとアレかもなので、今回はこのテーマにのみ言及します。

  僕はいわゆる田舎の出身で、近所には雑木林なんかもありました。小学生時代はそこでカブトムシとノコギリクワガタを捕まえた記憶があります。でも、地元を離れて生活をしている今、帰省すると、明らかに雑木林が減っていることに気付きました。ほとんど集合住宅にすり替えられていたのでした。僕はそれを見て「こんな田舎にもこんだけ人が住もうとしてしてるってことは人間の居住スペースの限界が近いのかもなあ」と思い、逼迫感と思い出が奪われる悲しみに打ちひしがれたことがあります。でも、それだけでした。その悲しみをエネルギーに「この町に何かしてやれないか」と本気で考えたことはなかった。

 ヒスロムさんは、そうした山や森林が都市へと姿を変えていくスピードに振り切られまいとして、『仮設するヒト』を企画したとのことでした。変化のスピードに振り切られ、時々に帰省してもすぐ仙台に戻って「僕の」地元が失われる傷心を慰めているのとは大違いだったわけです。 僕の自分本位さがあまりにも剥き出しになって、それは一人ながら恥ずかしいものでした。

 私事ですが、僕は今年の春に地元を離れ大学進学をしました。本展は地元を離れた意味をもう一度考え直すキッカケになりました。なぜ仙台に来たか、考え直すぞ。俺はやるぞ。